続「まなざす」ということ

 昨日の記事において、id:e_mukkuから具体的な意味やコメントを寄せてくれました。私自身は「まなざす」ということばの意味が辞書には定義されてなかったので、記事上で定義はできませんでしたが、広辞苑の最新版には掲載されていたということで、以下に意味を定義します。

ま‐な‐ざし【目差・眼指】
目の表情。目つき。まなこざし。太平記26「誠に思切たる―事こつがら」。「愁いを含んだ―」


まなざ・す【眼差す】
#他五#
(マナザシの動詞化)視線を向ける。見る対象とする。指向する。
-広辞苑第六版 岩波書店より -

 また、mukkuから『http://d.hatena.ne.jp/e_mukku/20081226/1230306938』という記事を寄せてくれました。そこに「まなざし」についての彼自身の考えを綴ってくれました。

 「まなざし」という言葉については、哲学者の鷲田清一さんの本などを読んできて、これは「心を向ける」という態度なんじゃないかなぁと考えてきたよ。あと、音の響きから想像をふくらまして「愛(まな)ざし」として、自分はとらえてきた。
-http://d.hatena.ne.jp/e_mukku/20081226/1230306938 -

 特にこの考えの「心を向ける」という意味は、確かに主体的に含まれているのではないかなと思っていました。「まなざす」という言葉としては、名詞から派生してきたことばであり、定義的には動き自体を示す言葉なんだけど、意味には『心の指向性』という個人の感情部分が含まれているんだろうなと思っていました。また、個人としてより具体的に言葉の意味が理解ができたことも嬉しいものでした。

 mukkuが漢字を当てているように「愛(まな)ざし」という使い方は、とても温かみのあることばだなぁと思いました。こういう言葉の持つ温かみというのは文字自体から伝わるのは素晴らしいな。彼の記事で例に挙げているようにネガティブな意味合いでも「まなざし」ということばは使われているけど、動詞としてはこの温かさのほうで定義されるといいな。もちろん、そこには個人的には尊敬や憧れも多いに含まれていると理解しています。

対話のもとには相手へのまなざしがあって、それは他者に向けた心の様子であって、わざわざ他者へ心を向けるのは、わずかでもそこはかとなくあたたかな愛があるのではないかと感じたからなんだよね。
-http://d.hatena.ne.jp/e_mukku/20081226/1230306938 -

 この彼からの言葉は、今の社会に必要な意味合いを持つような気がします。相手へ心を向けて、対話するということ自体がコミュニケーションの基本ではないかなってね。この「まなざす」という姿勢から感じられる温かさっていうかな、そういうのが現代に必要なキーワードのような気がしてなりません。