古典書から学ぶ『教え』

 ここ最近は、このブログでも古典書ばかりの引用を行っていますが、このような古典書を読むのは、私は今に始まったことではありません。というのは、個人研究での歴史的な流れを追う場合、基本的な古文献から推測したり流れを調べたりすることがありますのでね。

 そういうことですので、あまり気にならなかったのですが、ここ最近のデキル経営者の方々*1は、古典書を読まれる方が多いんだそうです。確かに、先日に大阪の行きつけのBarへ久々に顔を出した時にも、あるデザイナーの方が最近、漢文を読んでいるんですよというお話をされていました。昔の人々の考え方は今でも十分に通じているそうで、仕事に関していうと、コミュニケーションに関して、複雑な物事を抱えていたけれど、効率的に解決できましたとかいう話をされていらっしゃいました。意外と古典書の読者は、この場に多くいらして、日常的に意識しているよとか、こう解釈するとこんなことにも通じるものがあるという話をうかがっているといろんな方が今に応用して生活や仕事に利用しているのだなと思いました。

 こういう古典書に書かれていることは『教え』という部分が非常に多く、先人達の経験を持って、考えられたことばや方法論は、実は根本的なことであり、時代に左右されないとても有益な教えであると思います。これはデジタル支配された今の時代であっても同じだと感じます。というのは、デジタルというレンズ媒体を通して繋がっていても、基本は「ひと対ひと」ですからね。これまでのように書き出してみると、id:e_mukku君から紹介しいただいた世阿弥の「風姿花伝」は技事のいろはを伝えており、またこれは他の分野や場面にでも十分に通用する教えであると思います。

*1:どういう人を基準にして『デキル経営者』が決められているのかは、私には分かりませんが。