祖父のこと

私の祖父は12年程前に亡くなった。非常に元気な人だった。しかも、マジメ。でも、天然w。そんな祖父が散歩中にこけた事がきっかけで入院し、二ヵ月位で亡くなった。正直言うと、この時、祖父の事をあまり知らなかった。知っているのはある銀行の支店長をしていたことだけだ。


なんで、急にこんな事を綴るかというと、ココ最近屋根裏のものを整理していて、祖父のある一面を垣間見て、血は争えないなと思ったからだ。それが『写真』である。屋根裏から出てきたのは、戦後の家族が子供の時に撮影された様子が映っている写真だった。枚数にすると、数え切れない。アルバムに整理されており、撮影場所が記載されていた。しかも、フィルムの名前・絞り値まで記載されている几帳面さだった

例えば、もう知っている人は殆どいないと思うが、昔、愛宕山山頂は遊園地となり、ケーブルカーで上る事が出来て、スキー場やホテルがあった。そのスキー場の様子が写真に映っていた。現在では、もう影も形もないが、写真(そこ)には当時の様子が記録されていた。また、違う写真をみると、北大路通りに昔通っていた路面電車の様子もセピア写真に克明に残されていた。

しかも、祖父はこれを自分で手焼きしていたのだ。祖父は当時から相当写真が好きだったらしく、引き伸ばしの機械など一式を持って、現像していたそうだ。これは全く知らなかった。現在では、その一式は残っていない。カメラも残っていないのが少し不思議だが、おそらく壊れて以来、購入しなかったのだろう。

ここで、この私である。私は子供の時から写真には興味があったし、誰かに教えられずともパシャパシャとシャッターを切っていた。特に小学校時代によく両親に怒られたのが風景写真である。記念のためにカメラを持ってきたのに、私が旅先で現地に着く度に風景をパシャパシャ切ってしまうので、直ぐにネガを切らせていた事を記憶している。

でも、やはり遺伝ダナとつくづく感じるし、時々、祖父が後ろで見ているような気がするのだ。好き勝手撮っている私を、後ろから温かく見守ってくれているような気がするのだ。そして、時には良いチャンスを教えてもらっているような気がする。自分自身だけでなく、写真は多くの人によって生み出されている。それは、生きている今の人間だけではなくて、当時に生きていた人たちの上で、写真という物語を紡いでいる様に思える。

そんな思いを胸に、今年もいよいよ地元のハレの時間を撮り、紡いでいければと思う。

(追記しました。)