"私は日本建築をどう見るか"

忘れられた日本 (中公文庫)

忘れられた日本 (中公文庫)

先般述べたように、ブルーノ・タウトは、日本の美に見入られた外国人*1の代表ともいえる。その著書の中で、桂離宮を次のように著している。

ところが桂離宮は、これとはまったく趣を異にしている。桂離宮のようなものは、全世界に絶対に存在しないのである。これこそ純粋の日本であり、またかかる小日本ともいうべきものが日光と同時代に建築せられたからこそ、尚さら歎賞に値するのである。まことに桂離宮は、世界的意義を有する業績である。

このように賞賛しているのである。個人的な話になるが、京都検定なるご当地検定が、我が地元では行われているのだが、その中の公式テキストにも記されている。しかし、タウトはあまり知らされていないことも綴っている。

小堀遠州*2は大名であった(大名であるということが、当時何を意味したかは、日本人なら誰でも知っている)、彼は剃髪して隠棲し、桂離宮の造営については三箇の条件を提示して建築主の承認を得たという。即ち第一は、建築主は竣工以前に来て見てはならない、―第二は、竣工の期日を決めてはならない、―第三は、工賃に制限を加えてはならない、というのである。このように創造せられたものが、即ち極めて簡素でありながらしかも精神的には極度の洗練彫琢をへた桂離宮の建築と庭園とであった。日本の古典的作品は、実にこうして生じたのである。

この記述は、大変興味深い。創造をするにあたり障壁となる意見的影響・時間的制限・金銭面での制限を外したもとで、この建築物が生み出されていたという点である。これは破格の優遇ではないかと思う。また、タウトは次のように創造的精神が継承されていることを教えている。

当時の優れた創造的精神は、今日でもなお死滅していないのである。現代の日本には、太古の日本的建築が、如実に存在する。(中略)日本はいわば日本のアクロポリスをもつ、―即ちそれは伊勢神宮*3である。しかし伊勢神宮は(なかんずく外宮が最もすぐれている)、アクロポリスのような廃墟ではない、二十一年目毎に絶えず造替せられて*4、日本人の眼前にいつも新鮮な姿を示している。これはまさに世界無二の事実である。

確かに絶え間なく一定周期で造替され続け、その様式を替えずに受け継がれてきた建物は日本独自ではないだろうか。なおかつ現在でも崇敬を集め、活動を続けるところは少ない。活き続けながらも古典的建築が受け継がれているのである。タウトが賞賛するのも、今更ながら理解できる。

伊勢神宮は、日本の真の古典的建築である、しかもこれを初めて建立した建築家の名すら伝わっていない、あたかも諸神の賜物さながらである。また小堀遠州は、伊勢の精神に基づいて日本建築を改革した最初の建築家である。日本が第二の改革者をもつのは、いつの日であろうか。

この建築家の名すら伝わっていないというところに私自身は、心を揺さぶられる。功績などは問題ではないのだ。それが後世に残っていくことが名誉なのであり、その時代に評価をされなくてもよいのだ。そこに名前という概念はない。タウトの日本美の賞賛は続いていく。

*1:グローバル社会の中で、この表現は望ましくないが...

*2:wikipedia小堀遠州

*3:wikipedia伊勢神宮

*4:wikipedia神宮式年遷宮