裏にあるもの

昨日「世界環境ディ」を迎え、様々な地球温暖化対策を主としたイベントが、日本でも活発化し始めた。NHKでも本日から三日間の地球環境に関しての番組が放送される。

特にこのような機会では"eco"という言葉が派生しており、さまざまな場面で活用されるようになった。特にポジティブイメージの代表格とされていることから、とりあえず謳っておけば、イメージが上るという目論見も見え隠れする。一方では、これに嫌悪感を持つ者達もいる。確かに是を機にイメージアップをと思っている企業を目の当たりにしていれば、そう思う人たちが増えてきても仕方がない。実際に目の前にして影響を見る事がないから、自分に関係ないと思っている人が多いからかもしれない。だが、現地の人々の状況は深刻だ。沈み行く島国、感染症の拡大リスクの上昇、干ばつの拡大、砂漠ラインの拡大…一部だが取り上げてみたが、世界に行ってみるとその部分は小さな部分でも明らかに影響を与えているという事は事実。

かといって、この活動は強制されるものでもないし、批判するものでもない。より創造力をはたらかせて、利他心を持って、その意義を意識しているかどうかという点なのだろう。それに他人が強制させることも出来ないし、批判することも場にそぐわないのだろうなと勝手に感じている。